第3話 洋楽ロックを好きになる礎となった小学時代エピソード
こんにちは。多趣味ブロガーのつぐむぐです。今回は、僕が洋楽ロックを好きになる土台となったエピソードを書いてみたいと思います。
つぐむぐの小学校時代
ちょっと昔の話をさせてください。洋楽ロックを聴く前は、僕も当然日本のメジャーシーンの音楽をたくさん聴いていました。
聴き方も、ヒットチャートの上位のシングル曲を寄せ集めて聴くといったスタイルで、いわゆる「ミーハー」でしたw
さかのぼること20数年前の小学生のころ。
その頃の邦楽シーンの流行りといえば
米米CLUB、たま、チャゲアス、KAN、槇原敬之、B’z、大事MANブラザーズバンド、WANDS
このあたりが思い出されます。(年齢がなんとなくバレちゃいますねw)
ミスチルとかも台頭してきてたころで、90年代後半のミリオン連発時代に向けて、J-POPシーンが少しずつ熱を帯びてきている時代だったと思います。
僕には年の離れた兄がいて、その兄にいろんなシングルを集めたカセットテープ(懐かしい!)を作ってもらって、小学生低学年のころからよく音楽を聴いていました。
そんなどこにでもいるミーハーだった僕の「音楽性」を、カッコつけすぎですねw
僕の「音楽の聴き方」を、大きく転換させる出会いが、小学生時代に2つありました。
人生を変えたオリジナルアルバム
1つ目は、意外かもしれませんが、スピッツのアルバム「ハチミツ」との出会い。
僕の兄は、基本的にシングルを買うor借りてくるか、アルバムもベストアルバムを買うくらいで、いわゆる「オリジナルアルバム」を買うことは滅多にありませんでした。そんな兄がめずらしく買ってきたオリジナルアルバムがこの「ハチミツ」でした。
小学生ながら、このアルバムの完成度の高さに当時の僕は大きな衝撃を受けまして。
レコード風な表現ですが、本当に擦り切れるほど聴き込みました。
ここでハチミツのレビューもしてしまいたいところですが、話がズレちゃうので泣く泣く割愛します。
なぜこの出会いが大きかったかと言うと、オリジナルアルバムを1枚の作品として好きになった初めてのアルバムだったからです。
シングル以外の曲も(むしろそっちほうが)名曲揃いですし、なにより、アルバム全体を1作品として聴く楽しみ方・喜びを初めて教えてくれたのがこのアルバムだったのです。
平たく言うと、僕の中で音楽を聴く単位が、曲単位からアルバム単位に変わった出会いだったのです。
洋楽ロックには、「名盤」と言われるオリジナル・アルバムが無限にあり、アーティストの功績を語るとき、アルバムのよさで語られることが多いです。
売れたシングルが収録されてなくても、最高にいいアルバムも腐るほどあります。
洋楽ロックの世界は、アルバム全体の完成度や芸術性を求める傾向が相対的に邦楽より強いと断言できます。だから、オリジナル・アルバムを通しで聴きこむスタンスというか、根気というか、精神的な体力というか、そういったものは洋楽ロックを聴くうえで不可欠なんです。
数多ある名盤アルバムたちを聴き込む土台となったこの出会いはどうしても語る必要があったので、紹介させていただきました。
音楽の趣味が大幅に変わった今でも、このアルバムは自分の洋楽ロック好きの出発点としてとても思い入れの深い1枚であり続けています。
皆さんもそういったいつまでも心に残るアルバムがきっとあるんじゃないでしょうか?
どうでもいいことですが、その年のお年玉はハチミツ以前のスピッツのオリジナルアルバム6枚を買うのに全額費やしましたw小学生にしては早熟なお金の使い方だったと自分を褒めてあげたいですw
友達からふいに渡されたカセットとビデオ
2つ目の出会いは、小学6年生のころです。6年生から同じクラスになった友達に、かずたかくん(仮称)という変わり者がいました。あまり友達が多いタイプではなかったですが、自分とは結構相性がよくて、家の方向も一緒だったので、よく一緒に帰っていました。
そのかずたかくんに、学校の帰り道にスピッツのよさをしょっちゅう語っていたところ、ある日「すごくかっこいいから聴いてみて。」と2つのカセットテープと1つのビデオテープを渡されました。
それがブルーハーツとの出会いでした。
カセットテープの中身は、彼らのデビューアルバムである「THE BLUE HEARTS」と、USA版のベストアルバム「MEET THE BLUE HEARTS」、ビデオが「EAST WASTE TOUR’91」でした。これがとにかく言葉にできないほど衝撃すぎて・・・
今も昔も、日本のメジャーの音楽シーンは基本甘ったるい恋愛ソングが主流で、歌詞もメロディも大衆が共感しやすいキャッチーな曲が多いですよね。(それを一律否定するわけではありません。辛いことが重なったときは、そんな歌のほうが染みることが多々ありますw)
また、みんな身なりがスマートで洒落ていて、過激なパフォーマンスなんかも少ない。
当時も、ブランキー・ジェット・シティやRCサクセションとか、刺激的で格好いいいロックバンドはたくさんいたんですが、ネット環境も携帯電話もない時代、普通に小学生として生きてたらそんなバンド達を目にする機会は当然少なかった。
大衆受けする綺麗な音楽ばかりを聴いてきた僕にとって、ブルーハーツのメロディ、歌詞、そして気の狂ったようなイカれたパフォーマンスは、頭をかち割られるような衝撃だったんです。
「チェルノブイリには行きたくねぇ!」なんて歌詞、小学生には刺激的すぎませんか?w
その言葉の良し悪しはともかく、怖くなるくらい刺激的で、それを振り払うように家で大声で歌っていたら、親に激怒されましたw
まあそんなエピソードは置いといて。
ブルーハーツの虜になって、またしてもお年玉を全額費やし全アルバムを揃えてしまうほど一気に好きになってしまいました。
彼らの魅力を語りだすとキリがなく、今回のブログテーマとズレてしまうので、またしても省略しますが、この出会いが大きかった理由は、当時の僕の音楽のストライクゾーンを大きく広げてくれたこと。
ブルーハーツをあえて音楽ジャンルで語るなら「パンクロック」(又は歌謡パンク?)でしょうが、パンク好きになった、という単純な意味ではありません。
耳馴染みのいい曲や歌詞に溢れるJ-POPに浸かっていた当時の自分の音楽嗜好が、一度粉々にぶっ壊された、という意味で大きいということです。
洋楽ロックは、メロディや歌詞、音、曲構成は当然のこと、そのビジュアルや雰囲気も、バンドによって驚くほど違いがあり、とても幅広い魅力があります。
J-POPのメジャーどころだけを聴いて育っていたら、まずこの音楽の「幅」についていけていなかったと思います。
僕は今でもブルーハーツのヒロトとマーシーが大好きで、その後彼らが結成したバンドであるハイロウズやクロマニヨンズも全てアルバムを持っていますし、ライブにも参戦しています。
彼らを紹介してくれたかずたかくんには、今でも心から感謝しています。
ぶっちゃけ、かずたかくんとは卒業後一切絡んでませんがねw
まとめ
・洋楽ロックの世界に入る前に、転換点となる邦楽バンドとの出会いが2つあった
・まず、スピッツの「ハチミツ」との出会いで、音楽を曲ではなくアルバム単位で楽しむようになった。
・この「アルバム単位で聴く」というスタンスは、洋楽ロックを聴く上でとても重要
・次に、ブルーハーツとの出会いで、それまでの音楽観がぶっ壊れ、ストライクゾーンが大幅に広くなった。
・洋楽ロックの幅広い魅力に親しむ上で、自分のストライクゾーンを広めに持っておくこともとても重要
いかがだったでしょうか?
極めて個人的なエピソードだったので、なんの参考にもならなかった可能性が高いですが、自分の思春期にはまってた音楽を思い出し、ノスタルジーに浸っていただければ幸いです。
すみません、なかなか洋楽ロックとの出会いまで行きつきませんねw
次回こそその辺に触れたいと思いますので、お楽しみにwではでは!
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